ベトナムで現地の人を面接する。零細企業が4,000km先で感じたこと。発見したこと。その1

弊社には2人の外国人実習生が在籍しています。

弊社としても昭和45年の創業以来、初めてのことです。

ひとりはトゥイさん、21歳。
トゥイ

もうひとりがラムさん、19歳。
ラム

遠く4,000km離れたベトナムからやってきました。

主な仕事は惣菜部門の盛り付けや下ごしらえ、ギフト部門の発送業務などを主に行ってもらってます。
とても優秀で感性が鋭く、私がキッチンで、何かを探す素振りをすれば「シャチョウ、コレデスカ?」と、探し求めていたラップなどを手にとって持って来てくれたりします。

「よくわかったね?」と私が言うと、ニコッと微笑みを返すだけ。
無駄口さえも話しません。

そんな彼女たちを面接にいったのが去年の2月(平成29年)。
初めての東南アジアでした。

飛行時間にして羽田から約7時間。飛行場

せっかくなので、家族3人でハノイ空港に降り立ちます。

亜熱帯特有の湿度の中、現地のお迎えの職員に連れられてハノイ市内の日本語学校へ向かいますがお迎えの車はこんな感じ。(おおっ、ゴージャス!)

車窓からみるベトナムの街は活気があります。

ベトナムの街の中

現地に行ったことのある方は、「終戦直後の日本のようだよ。」などと、行った方々は口にしておりましたが私も実際に行ってようやく解った次第です。(直後の日本はさすがに私も知りませんが………笑)

行き交うバイクの多いこと多いこと。レンタカーなんか借りなくて良かったと思うほど高度な運転技術が求められます。なにせ、交差点の信号は形さえ付いてはいるものの、全く意味をなさず何でもありの交通法です。ベトナムバイク

その道端では豚肉を一頭、頭付きのままさばいている光景もあれば、その隣では大きな鏡をたて、散髪している床屋さんがいる。
もちろん青空でです(笑)
日本では、保健所が来て一発で御用。となるのでしょうが、驚きの連続です。

▼鶏肉と野菜を路地で売るお母さん。鶏も野ざらし状態。ベトナム

▼こちらも路地で魚を売るお母さん。たらいに入れて売っております。

ベトナムの平均年齢が約27歳。ご年配の方々はベトナム戦争で亡くなられた方が多いため、若い方々がこの国を支えています。日本が約49歳なので、勢いとエネルギー、それに底力を感じさせてくれます。
「生きてやるぞ!」っていうのが伝わってくるんですね。

さて、日本語学校に車が着くやいなや、校庭の真ん中に停めてくれました。

先程のゴージャスな車から降りると、我々を取り囲むように日本語学校の生徒が300人くらい拍手で迎えてくれます。(ここまでされるとテレてしまいますよね 笑)

歓迎を受けた後、学校内を案内されます。

▼まず教室内(結構寿司詰め状態、ギュウギュウです。)教室

▼向こうに見えるのは宿舎。右に見えるのは工事現場ではありません。鳶(とび)の練習場。ここで上がり下がりを練習して日本の現場に臨むらしいです。とび

▼規則も日本語の説明が書き加えられています。(ん?6番。食事が済んだら雑巾でテーブルをキレイに………?雑巾はないでしょ笑)日本語看板

▼で、食事はというと…………こんな感じです。(ヘルシー!どうりでベトナムの人に太った人がいないのかがわかります。)食事

▼食事風景(美味しい?って聞くと、「………。」だそうです。)食事

▼一部屋に10人から12人の共同生活。勉強机もこのベッドの上で兼務します。(エアコン無し。暑〜!)宿舎

こうしてみると我々日本人がいかに恵まれているか、考えさせられます。

その後、いよいよ面接する彼女たちとご対面することになったわけですが、私たちが採用を希望した人数は2名

それに対し5名を面接人員としてセッティングしてくれてます。

その5名のひとりずつが、我々の居る部屋に通され面接を行っていきます。

そのメンバーは幅広く、20代後半で乳飲み子を抱えた主婦、小学生の子供を2人抱えた35歳主婦、それ以外は弊社に来た2人と20代の独身女性です。

何故大事な子供を置いてまで日本へ?と思うほど、日本への就労意欲が高いのにはビックリです。

なぜならば、日本の賃金はベトナムの平均賃金の約10倍。よって、子供を預けてでも日本に就労チャンスを求めていくのは理解できます。
日本で3年しっかり働けば現地でも家が建つそうです。

面接を全て女性にしたのは訳があり、前評判がかなり高かったから………。それだけです。(笑)

知人の経営者からは「鈴木さん、ベトナム人は絶対女性だよ。ベトナムに行ったらわかるから………!!」と、それだけを鵜呑みにして採用を女性に限定した次第でした。

その訳は後になって「なぁるほど………。」と、解るわけでした。

つづく。

YouTube動画毎日配信中です!

banner

この記事を書いた人

鈴木 賢司

昭和41年生まれ。地元高校を卒業し札幌東京へフレンチを志し修行。

家業である実家の飲食店に帰って20数年。気がつけば社長でした(笑)

詳しいプロフィールはこちら