「縁は異なもの味なもの」Facebookがつないだご縁。

つい先日のこと。

今を遡ること40年前の中学生時代を思い出し、昔お世話になった恩師のことを垣間見た時の事でした。

「今、あの先生は何をやっているだろうか…..。」

そんな思いに駆られFacebookで名前を検索。

「あるわけないよな〜〜」なんて思いながら探していると…….。

あった!ありました。
先生の名前が!

もう現職は離れていましたが今は町議会議員をやっているとの事。

こちらの先生、26歳で新米教師として私が通う中学校へ。それも我々の2年D組の担任としてやって参りました。

当時私も青春真っ盛り。
かなりやんちゃだったのでしょう。(笑)

私を含めクラスのほとんどが先生を困らせたことかと思います。

授業中抜け出す生徒もいれば、騒ぎを起こしたことも数回…。

とはいっても私の家と先生の下宿が近かったこともあり、よく先生はうちの家に顔出しては私の部屋で晩御飯を何回か食べたもんでした。

先生と言うよりも兄貴分みたいな存在で、非常に距離を近く感じたため尊敬というよりもお兄さんと言う感じで、慣れ慣れしく接していたのを覚えています。
(いま思えば大変失礼でした)

そんな兄貴分みたいな先生でしたから学校帰りは無断で友人数人と先生の下宿にたむろすることもしばしば。

要は我々のたまり場となっていたわけです。

中にはタバコを吸う生徒もいたかな。笑

そんなFacebookのご縁で、70歳を目前に控えた先生と40年ぶりにご対面。

今回は200キロ先の先生の自宅までお邪魔するお許しをいただきました。

当時のことを振り返り懐かしの先生。

はじめての学年担任としての文集もしっかりと持っていらっしゃいました。
熱心に付箋まで貼ってある。

私が当時どんなことを書いたか覚えておりませんが先生にとっては宝物であり、良き思い出のようです。

久しぶりに会い、当時のことを思い出して目尻も下がり、話が盛り上がってきたところで
先生が突拍子もない話をしだしました。

「あの頃は俺も若くて、教育に対して非常に悩んでいた。ある時自暴自棄になって秋口の寒空の中、夜中に川に身を投げたんだ….。」と。
いきなりの話に私も目が点。

川に入って初めて思ったそうですが、その深いこと深いこと。

自殺をしようと試みたわけでなく、自分がどうしていいのか単純に困ってしまって若気の至りで水に飛び込んだようです。

ハっと我に返り、何とか泳いで橋の欄干にたどり着いたものの、そこから迷いが生じます。

「もう一回川に飛び込んで、この寒空の深夜に川岸までまた泳いでいくか。それともこのまま朝まで助けを欄干の上で待つか。それとも舌を噛み切ってでも死んでしまうべきか。」

悩んだそうなのですが、真っ先に思ったのはまず死ぬ事はしないので、これは却下。

次に、朝まで助けを待つ事は新聞沙汰になると思い、これは恥ずかしいので却下。

最後に残されたのはもう一度岸まで泳いで帰るということ。

そこで、再度足もつかぬ川へドブーンと身を投げ入れ、川岸まで泳いで行ったとのこと。

ずぶ濡れになりながら、自宅に帰って震えながらシャワーを浴び、何とか自分自身に戻ったとの事でした。

知らなかったとはいえ、やんちゃな我々生徒が新米の先生をそこまで考えさせたことに問題があり、こうして笑い話として話していただけましたが40年経って反省しきりです。

当時を振り返り、謙虚に教育者としての自分の立ち位置を反省されておりましたが、今回こんな出来の悪い生徒を笑顔で迎えていただいたことに本当に感謝です。

最後は米どころでもあるこの地の新米をお土産に頂き、車に乗った私を見えなくなるまで先生が手を振っていたのをバックミラー越しに拝見させていただきました。

「縁は異なもの味なもの」と申します。

昔はこの言葉、男女間の出会いの奇遇さを表したことわざだったようですが昨今では人の力を超えたところで、人と人を結びつける「ご縁」について表されるようです。

そういった意味でこの「ご縁」というものに共感する私。

色々な人に助けられ、色々な人に救われた1人です。

出会った人の数や出会った人によって人生が左右されるというのをこの歳になって痛感しております。

そんなことで、今日も皆様方にとりまして良縁を。

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この記事を書いた人

鈴木 賢司

昭和41年生まれ。地元高校を卒業し札幌東京へフレンチを志し修行。

家業である実家の飲食店に帰って20数年。気がつけば社長でした(笑)

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