今年はゆたか創業50年。海辺で見つけた朽ち果てたトレーラーに父の足跡を想う。

今年弊社は創業50年を迎えます。

父の名前が「豊(ゆたか)」であることから社名を「ゆたか」にしているのはそのためです。

先代である父が残したこの会社は50年の昭和45年に「豊寿し」として寿司専門店からスタートいたしました。

それから居抜きで当時洋食店をやっていたオーナーから、現在地であるお店をまるごと買い受け「食事処ゆたか」として和洋のメニューを提供する店として再スタート。

その後、株式会社ゆたかと組織を変更して、飲食はもちろんのこと、仕出し業や物販事業にまで事業領域を広げてまいりましたが、残念なことに志しなかば66歳で父は他界致しました。

そのゆたかですが現在この池田町人口6000人少々と人口が少なくなる中、なんとか50年間商いをさせていただいている次第です。

そんな創業者である父は十勝管内の中学校を卒業して16歳で地元帯広のパン工場へ就職。

そこで1〜2年勤めたそうな。

人の出会いと言うものは不思議なもので、たまたま同僚の先輩社員さんから当時人気でもあった「寿司屋」の話を耳にしたそうです。

「鈴木君、これからは寿司屋だ。寿司屋はいいぞ〜。」

そんなことを聞いた父はパン職人から寿司職人の道へ歩き出しました。昭和30年半ばの事でした。

そこで札幌の寿司店へ修行に入り、そしてまた帯広の寿司店での修行後、昭和45年に冒頭申し上げた豊寿しを27歳でここ池田町に開店した次第です。

で、話は変わります。

本日たまたまお料理のお届けがあり近郊の漁港の町に立ち寄ったときの事。

道路脇に朽ち果てたトレーラーの荷台が置いてありました。

よく見ると荷台にペイントしてあったのは懐かしき「イズヤ」と記されております。

この会社こそが父が中学校卒業して初めて就職したのがこのパン屋さん。

当時は帯広に本社があり全道を網羅していたようですが今は残念なことに25年以上も前に廃業されたそうです。

私も小さい頃は何度もこちらのパンを食べたことか。

このトレーナーを見つけ道路脇に車を停めながら亡き父の足跡を思い起こし、コロナ禍ではありますがこうして時代を生きていることに感謝せねばと、つくづく思った次第です。

今日もこうして他町村からお声がかかり、料理をお届けするのは料理人としても、そして商売人としても嬉しい限りです。

来年から新たな半世紀が始まります。

コロナに負けていられないですね。

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この記事を書いた人

鈴木 賢司

昭和41年生まれ。地元高校を卒業し札幌東京へフレンチを志し修行。

家業である実家の飲食店に帰って20数年。気がつけば社長でした(笑)

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